武士の故郷は、
大阪にあり。

頼朝・義経、そして尊氏へ。
壺井の地。日本の歴史を動かした
「河内源氏」一族の原点。
かの地から、1000年前の兵たちに
思いを馳せる。

[特別企画展]河内源氏と壺井八幡宮壺井八幡宮史上初の大規模宝物展
令和8年1.16[金]→3.15[日]大阪歴史博物館6階 特別展示室

1000年の時を超えて、
武士の故郷へ─

この展覧会では、前九年・後三年合戦で活躍した「八幡太郎」源義家(よしいえ)や、源頼朝・義経兄弟、足利尊氏らを輩出した一族=「河内源氏」と、彼らの祖・源頼信(よりのぶ)が拠点と定めた河内国壺井の地を、次の二つのストーリーを主軸に紹介します。武士の世の起源を作った河内源氏一族の壮大な系譜と、壺井の地に今も息づく伝承を、貴重な資料とともに深く掘り下げます。

伝承される河内源氏の魂

「平将門の乱」平定に功のあった源経基(つねもと)。その孫である頼信は河内国壺井(現大阪府羽曳野市壺井)に拠点を構え、晩年には河内守に就任したため、後世その血脈は河内源氏と呼ばれました。武士の世を切り拓いた彼らの活躍は様々な形で語り継がれ、人々に強く刻まれます。本展では館蔵品を中心に、「河内源氏」の活躍と伝承を概観します。

源氏のロマンあふれる地、壺井

頼信の子、頼義は壺井の整備を進め、一族の氏神・菩提寺として壺井八幡宮・通法寺を建立します。このうち通法寺は廃仏毀釈の影響で廃寺となりましたが、壺井八幡宮は歴史の荒波を乗り越えて現在も壺井の地に鎮座し、「木造僧形八幡神及諸神坐像」(重要文化財)、「太刀 銘安綱(号 天光丸)」(重要美術品)をはじめとした名宝を守り伝えています。八幡宮所蔵の品々を中心に、河内源氏ゆかりの地・壺井の歴史を紹介します。

展示紹介 (みどころ)

本展覧会は、武士の故郷「壺井」を巡る壮大な物語を、以下の2つの章で構成しています。
各章では、河内源氏の歴史、壺井の地の変遷、
そして受け継がれてきた貴重な資料の数々を深く掘り下げて展示します。

第一章
「武家の棟梁」河内源氏

華麗なる源氏一門

「源氏」とは、天皇の皇子たちが臣籍降下した際、新たに「源」の姓を賜った人々で、平氏と同じく、皇族にルーツを持つ人々でした。彼らは朝廷で活躍するものもいれば、武士として活動するものもいましたが、総じて『源氏物語』の光源氏に代表される高貴なイメージをまとっていたといえましょう。本節では、そうした「源氏」たちの姿を紹介します。

源氏物語図屏風 (大阪歴史博物館蔵)

源氏物語図屏風
(大阪歴史博物館蔵)

河内源氏、勇躍

源経基の子・満仲は、その息子たちとともに、当時栄華を極めた藤原摂関家のもとで、繫栄のきっかけを掴みます。そして満仲の三男・頼信にはじまる一族(河内源氏)は、「武士の世」を切り開いた一族として後世の武士からも神格化され、徳川家康のように自らの由緒を河内源氏に求める者も現れました。本節では、河内源氏の活躍と伝承を紹介します。

八幡太郎凱旋図 伝翠松 (大阪歴史博物館蔵)

八幡太郎凱旋図 伝翠松
(大阪歴史博物館蔵)

河内源氏と壺井の地

河内源氏が拠点とした壺井。なぜ河内源氏はかの地を拠点としたのでしょうか。実は壺井には、古墳時代前期とみられる古墳群が存在しており、古代からの有力者の存在を想起させます。また、河川や丘陵部に囲まれ、高い防御力を有することや、河内国府(現藤井寺市惣社周辺に比定)に近く、石川・大和川や竹内街道などの交通網にアクセスしやすい地であることも、壺井を拠点とした理由でしょう。本節では、壺井地域の概観を行い、壺井八幡宮建立に至る経緯を考えます。

壺井丸山古墳赤色立体地図 提供:羽曳野市教育委員会

壺井丸山古墳赤色立体地図
提供:羽曳野市教育委員会

第二章
壺井八幡宮・通法寺と地域社会

壺井八幡宮の至宝

頼信・頼義・義家ら河内源氏三代を祀る壺井八幡宮は、武家からの篤い崇敬を受けており、同社には重要文化財、重要美術品を含む様々な宝物が伝わっています。ここでは、「木造僧形八幡神及諸神坐像」「黒韋威胴丸(壺袖付)」など、壺井八幡宮が所蔵する至宝を一挙にご覧いただきます。

木造僧形八幡神像 (もくぞうそうぎょうはちまんしんぞう) (壺井八幡宮蔵)

木造僧形八幡神像
(もくぞうそうぎょうはちまんしんぞう)
(壺井八幡宮蔵)

黒韋威胴丸 壺袖付 (くろかわおどしどうまる つぼそでつき) (壺井八幡宮蔵)

黒韋威胴丸 壺袖付
(くろかわおどしどうまる つぼそでつき)
(壺井八幡宮蔵)

太刀 銘安綱(号 天光丸) (壺井八幡宮蔵)

太刀 銘安綱(号 天光丸)
(壺井八幡宮蔵)

中世の壺井

壺井八幡宮には、鎌倉時代末期から南北朝時代、室町時代にかけて、壺井周辺で活動した武士が遺した文書や、神仏習合思想のもと、壺井八幡宮と一体化していたと考えられる通法寺にまつわる文書が伝来しています。本節では中世の壺井を中心に活動した河内武士の動向や、通法寺の興隆を概観します。

長久信(ちょうひさのぶ)書状 壺井五郎左衛門尉宛 (壺井八幡宮蔵)

長久信(ちょうひさのぶ)書状 壺井五郎左衛門尉宛
(壺井八幡宮蔵)

壺井八幡宮の「復興」

壺井八幡宮・通法寺ですが、織田信長による河内侵攻に伴い衰微します。しかし江戸時代の元禄年間に、徳川綱吉・柳沢吉保らによって「復興」を遂げました。その後の壺井八幡宮・通法寺は『河内名所図会』にも名所として紹介され、江戸での出開帳や、女性による参詣を伝える記録も残っています。
本節では江戸時代以降の壺井八幡宮について、資料を中心に紹介します。

『河内名所図会』より壺井八幡宮 (大阪歴史博物館蔵)

『河内名所図会』より壺井八幡宮
(大阪歴史博物館蔵)

関連行事

  • 学芸員によるスライドトーク

    展覧会の担当学芸員が、展示の見どころをご紹介します。
    日 時:令和8年2月1日(日)、3月1日(日)いずれも午後1時30分~2時15分(受付:午後1時~)
    会 場:大阪歴史博物館 4階 講堂
    定 員:250名(当日先着順)
    参加費:無料(常設展の観覧券もしくは半券提示が必要です)
    案 内:谷口正樹(大阪歴史博物館 学芸員)

  • シンポジウム「河内源氏の宗廟」壺井八幡宮の中世・近世・そして現代

    日 時:令和8年2月14日(土)午後1時30分~4時30分(受付:午後1時~)
    会 場:大阪歴史博物館 4階 講堂
    定 員:250名(要事前申込)
    講演①:髙木大明氏(壺井八幡宮 宮司)「壺井八幡宮のこれまでとこれから」
    講演②:田中誠氏(四天王寺大学 講師)「中世の壺井八幡宮と通法寺」
    講演③:谷口正樹(大阪歴史博物館 学芸員)「近世の壺井八幡宮・通法寺の復興について」
    ※内容は変更となる場合がございます。

河内源氏について

河内源氏略系図

河内源氏──武士のはじまりはここから

平安中期、清和源氏・源満仲が摂津国川辺郡多田荘(現兵庫県川西市・宝塚市・三田市・猪名川町周辺)に土着し、子の頼光・頼親・頼信とともに、当時栄華を極めた藤原摂関家に伺候し、繁栄のきっかけを掴みました。父を継承し摂津を拠点とした頼光(摂津源氏)、大和に進出した頼親(大和源氏)に対し、三男の頼信は河内に進出したことから、頼信以降の系統を「河内源氏」と呼んでいます。
河内源氏初代・頼信は関東の戦乱を鎮め、二代・頼義は奥州での「前九年の役」を平定します。そして三代・義家は「後三年の役」を戦い抜き、その活躍は「天下第一武勇之士」と讃えられました。やがて河内源氏からは鎌倉幕府を開いた源頼朝や、室町幕府を開いた足利尊氏が出、「武家の棟梁」としての地位を確固たるものにします。河内源氏は戦国時代にも、細川氏・武田氏・今川氏・佐竹氏ら有力な大名を輩出したほか、徳川家康のように、自身の出自を河内源氏に求める武士も現れました。その家康が江戸幕府を開くと、河内源氏の血脈はいよいよ神格化されていきます。

壺井八幡宮、その知られざる姿

羽曳野市壺井は、頼信・頼義・義家ら河内源氏三代が本拠とした地です。二代・源頼義のころ、壺井の整備は進み、菩提寺である通法寺や、石清水八幡宮を勧請した壺井八幡宮が創設され、河内源氏の「聖地」としての性質も帯びるようになりました。壺井八幡宮に伝わる資料からは、鎌倉~室町時代にかけて武士による寄進や安全保障が繰り返し行われてきたことが知られ、その信仰が中世を通じて維持されたことが伺えます。また、「前九年の役」の際に源義家が弓で岩壁を突き、冷泉を得たという「壺井水」の伝説は、この地と源氏の武勇、そして神聖な繋がりを今に伝えています。

『河内名所図会』より通法寺源家武将廟墓 (大阪歴史博物館蔵)

『河内名所図会』より通法寺源家武将廟墓
(大阪歴史博物館蔵)

壺井八幡宮 本殿

壺井八幡宮 本殿

壺井八幡宮の至宝、受け継がれる武士の魂

壺井八幡宮には、河内源氏の武勇にあやかるため、様々な武士が信仰を寄せましたが、彼らが寄進した武具などの一部が、現在まで受け継がれています。重要文化財「黒韋威胴丸」や重要美術品「太刀 銘安綱(号 天光丸)」は、当時の武士のたたずまいと精巧な技術を今に伝える逸品です。また、中世の壺井の様子を伝える貴重な古文書の数々は、この地の歴史がいかに深く、多層的であったかを教えてくれます。

壺井の地、ふたたび

江戸時代に入り、壺井の地は「河内源氏三代の宗廟」として、再び注目の的となります。近世以降の壺井に関する展示を通して、河内源氏の伝承が人々に定着する過程を紹介します。また、近年行われた重要文化財「木造僧形八幡神及諸神坐像」の保存修理プロジェクトの概要も展示します。

〈河内源氏発祥の地〉 壺井八幡宮について

  • 康平7年(1064)、源頼義が前九年の役に出陣する際、戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮の神霊を勧請して、壺井にある私邸の東側に祀ったのが始まりとされています。のちに頼義・義家以降も代々の源氏から篤い信仰を受けました。現在の姿は、元禄14年(1701)に徳川綱吉の命により柳沢吉保が復興したものをベースとしています。

    御祭神

    ・誉田別尊(ほんだわけのみこと) ※応神天皇(おうじんてんのう)とも呼ばれている

    ・神功皇后(じんぐうこうごう)

    ・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)

    また、境内にある摂社「壺井権現社」では、河内源氏の三代である源頼信・源頼義・源義家も祀っています。

  • 壺井の井戸

    「壺井」の地名の由来となった伝説の井戸。平安時代、前九年の役で水不足の危機に陥った源頼義・義家軍。頼義が天に祈り弓で崖を突くと、奇跡の霊泉が湧き出て軍を勝利に導きました。その水を壺に入れて持ち帰り、本拠地の井戸に埋めたことから「壺井水」と呼ばれ、源氏の武運を象徴する存在となっています。

  • 通法寺跡・
    河内源氏三代の墓

    武家の棟梁として日本の歴史を動かした河内源氏の祖、源頼信、子・頼義、孫・義家ら三代の英雄が眠る場所です。彼らの氏寺であった通法寺は現在、わずかな遺構を残すのみですが、墓所は近世・近代を通じて保存され、現在までその姿をとどめています。

    通法寺跡・ 河内源氏三代の墓
  • 源氏館跡の碑

    通法寺跡のそばに、明治40年(1907)、かつてこの地が源氏三代の館であったことを記念して、石碑が建立されました。上部に刻まれた「源館阯碑」の文字は徳川家達の書です。

    源氏館跡の碑
  • 千年の時を刻む、源氏の里

    壺井八幡宮が鎮座する丘から見下ろすこの景色は、武家の棟梁たる河内源氏が本拠地とした「源氏の里」。彼らが日本の歴史を動かす物語を紡いだこの地を、千年の時を超えて見守り続けています。

    千年の時を刻む、源氏の里

壺井八幡宮

大阪府羽曳野市壺井605-2
TEL:072‐956‐2824
壺井八幡宮

開催概要

展覧会名 特別企画展「河内源氏と壺井八幡宮」
会期 2026年1月16日(金)~ 3月15日(日)
休館日:火曜日
会場 大阪歴史博物館 6F 特別展示室
〒540-0008 大阪府大阪市中央区大手前 4丁目1-32
アクセス>
開館時間 午前9時30分から午後5時まで(入館は閉館の30分前まで)
公共交通アクセス OsakaMetro谷町線・中央線「谷町四丁目」駅2号・9号出口
大阪シティバス「馬場町」バス停前
主催 大阪歴史博物館
特別協力 壺井八幡宮
後援 公益財団法人 大阪観光局、羽曳野市、一般財団法人 大阪はびきの観光局
お問い合わせ 大阪歴史博物館 TEL:06-6946-5728 FAX:06-6946-2662

※ご利用案内・注意事項はこちら「大阪歴史博物館:利用案内:館内マップ・注意事項」

観覧料

本展覧会は、常設展示観覧料でご覧いただけます

個人

大人600円

高校生・大学生400円

20名様以上の団体

大人540円

高校生・大学生360円

中学生以下、大阪市在住の65歳以上の方、障がい者手帳等をお持ちの方(介護者1名を含む)は無料

アクセス

<大阪歴史博物館>
〒540-0008
大阪府大阪市中央区大手前 4丁目1-32

電車・バスでお越しの方

Osaka Metro谷町線・中央線「谷町四丁目」駅 2号・ 9号出口
大阪シティバス「馬場町」バス停前